がん闘病記 40歳3児の父の記録

縦郭腫瘍 なかでも極めてまれな悪性の胚細胞腫瘍を発症 これからのためにとにかく記録を残そうと思った

2月18日

2月18日

今日と明日は特にすることがない
一刻も早く治療をはじめたいので気持ちが焦ってしまう
あまり何も手につかないような感覚
 
午前中、子供を幼稚園へ送り出した後、以前申請していたマイナンバーの個人カードの受け取りをするため区役所へ
 
何かすることがあった方がありがたい
 
受け取りはすぐに終わり、裕美と雫と昼ご飯を食べに水天へ行った
 
平日限定のランチを食べることが出来て裕美は嬉しそうであったが、やはりいつもの食欲が無い
雫は移動中から寝ていて食事中目覚めることは無かった
帰る前に起こしてセットのうどんを食べさせた
 
帰りに髪を切りに行くことになった
化学療法の副作用で髪が抜けるため、短い方が都合がいいと考えた
 
かなり短めにお願いしますと頼んだが、そこまで攻めてはもらえず若干長い部分もあったがとりあえずこれで良しとした
 
家に帰ったが裕美は落ち着かない様子であった
不安でしかたがないのだ
 
洗濯などの家事を少し済ませ、図書館へ借りていた本を返しにいった
その帰りに早めに幼稚園へ迎えに行く
 
そのまま戻らずに公文へ2人を連れていき、スーパーへ買い物に行った
 
勤務先の製鉄病院の院長へ電話する約束をしていて、ちょうどその時間になったので電話をした
しばらく治療のため勤務は難しいと伝え、病院は全面的に支援してくれると言ってくださった
休職中の手当がどうなるのかなど不安はあるがひとまずありがたいと思った
 
一旦家にかえり、みおり、そよかの順に公文へお迎えに行く
そよかは特別頑張ったようで2時間くらい課題をやっていた
 
家に帰りいつも通りの夕食を
自分の得意料理である納豆スパゲティを作り振舞った
子供たちは美味しいと言って食べてくれた
 
考えれば考えるほど不安が止まらなくなる
このようなまれな疾患がみつかり、突然生死をかけた治療をしなければいけなくなった状況をまだ受け止めきれない
 
勝算が無い訳ではなく、治癒や長期寛解の可能性もあるとは思うが、全く奏効せず悲惨な転帰をたどる状況がどうしても頭をよぎってしまう
とにかく治療を早くはじめたい
1週間後であるがとてつもなく長く感じてしまう