がん闘病記 40歳3児の父の記録

縦郭腫瘍 なかでも極めてまれな悪性の胚細胞腫瘍を発症 これからのためにとにかく記録を残そうと思った

2月21日 入院当日

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ようやく入院の日となった。

幼稚園の遠足の日で、裕美は朝からお弁当作りに忙しそうであった。

 

しばらく撮れないと思い、家族で動画を撮影した。

そよかは、父がしばらく帰ってこられないとうすうす感づいている様子はあったが、みおりとしずくはまだ小さいのでなにもわかっていないようであった。

 

子供たちを送り出した後、しずくを保育園へ預け病院へ向かった。

入院の受付をすませ、病棟へ。まだ部屋の準備ができていないとのことで少し待つことになった。

待っているところへ猪口先生がやってきて少し話をした。

まずはPETの結果だ。腫瘍へは強い集積があるが、ほかの部位には見当たらないとのこと。強い集積が治療効果の予測になるのかどうか不明だが少し不安になる。ほかに転移がなさそうなことはよかったと思う。

精巣のMRIも特別所見はなく、縦郭原発として矛盾しない結果であった。

希望していた土曜日からの化学療法については、やはり認められなかったが、今後のことも考え月曜日の祝日から開始する方針となった。

希望は通らなかったが、一日早くなっただけ少しは良かったのかもしれない。

 

入院後問診や、午後からの生検に向けてのルート確保などを済ませる。食事は検査後からとのことで、かなり長時間絶食をすることに。

裕美は保育園や幼稚園の迎えのために14時30分ごろに家に帰った。

 

15時過ぎに生検へ呼ばれる。アタラックスpを筋肉注射され、少しぼーっとした状態での搬入となった。

放射線科の担当の先生が局所麻酔を行い、引き続いて生検針を刺入し組織を採取する。

パチン という乾いた音ともに組織が採取された。

診断に十分な組織が採取されているかどうかを顕微鏡で確認するため、しばらく外筒が刺さったまま待つことに。

3回ほど組織を採取し、うまくいったということで検査は終了した。

 

部屋にかえったが、3時間の安静を言い渡される。

 

長い、、、

 

これが終わるまでは食事もとることができず、ただベッドに横になっていなければならない。

なんとかターンテーブルを持ってきてパソコンがみられるようにし、amazon primeの海外ドラマを見ながら時間をつぶした。

 

安静が終わってからようやく食事が運ばれてきた。食事をみて思ったことが

 

少ない、、、

 

ごはんと厚揚げ、小皿、しるもの  という精進料理のような献立であった。

食欲が落ちているとはいえ10時間以上の絶食のあととしてはとても満足できるものではなかった。

幸い、裕美が買ってくれていたクロワッサンが二つ残っていたのでありがたくいただいた。

 

以前仕事をしていた職場なので、だいぶん人が変わっているとはいえさすがに見知った人間が多い。医局員や看護師が何人か挨拶に来てくれた。

決して楽観できる状況ではないため、みんなどんな顔をしていいのかわからないといった顔をしている。

自分も疾患や治療成績のことはなどは、ある程度調べているので、現状を客観的にとらえられてはいるつもりだ。

だが、実際は特に症状もなく今一つ本当の実感が湧いてこないというのも確かだ。

それでも悪い状況を想像すると全身が凍りつき、目の前が暗くなるような感覚に見舞われる。

 

幼いこどもたちに、父親の死というショックを与えないですむよう、心から願うばかりである。