がん闘病記 40歳3児の父の記録

縦郭腫瘍 なかでも極めてまれな悪性の胚細胞腫瘍を発症 これからのためにとにかく記録を残そうと思った

2月23日 治療前日

昨日に引き続きただ入院したまま過ごす日

始めなければいけない治療ははっきりしている 

気持ちが焦る

この数日がこじれずに治るかどうかの瀬戸際なのではないか など悪い可能性が頭をよぎる

 

午前中に、腫瘍内科の先生が部屋を訪れてくれた

実際の治療には関わらないが、なにか相談があればすぐ受けてくれるとのこと

この化学療法の年間の実施数を聞いたところ、年1,2件程度だそうだ

頻度はやはり泌尿器科のほうが多く、導入の化学療法が終わるまで腫瘍内科のお世話になることはあまりなさそうである

 

午後からもとくにすることがなく、文献を読んだり、アマゾンプライムをみたりしながら時間をつぶした

 

15時ごろ、父が面会へきた

やはり神妙な面持ち 無理もない 息子が自分より早く生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされているのだ

金銭面の心配もしてくれている

生活費をどのように捻出するかも心配だ 多少の蓄えはあるが、収入がない状況でどこまでやりくりできるのか不明だ

両親がまだ健在で仕事をしていて、頼りになるということは今の状況を考えると非常にありがたい

 

勤め先の病院から限度額適用認定証が届いた

それとともに、今後の出勤の扱いについても手紙が届いた

年休などを使い、3月いっぱいは基本給がもらえ、4月からは傷病手当として60%の支給があるそうだ

治療の限度額でほぼ使い切ってしまいそうであるが、なんにしても多少の収入がしばらくあるというのはありがたかった

 

夕方からの補液のため、当直医が血管確保へきた

点滴が始まるのは21時からなのだが、日勤帯に済ませておきたいという事情のようだ

 

子供たちの動画が届いた 休日に3人の面倒をみるのはかなり骨が折れると思うが、裕美はよくやってくれている

テレビ電話でも少し話すことができた 途切れ途切れではあるが癒された

化学療法で髪も抜けるだろうし、次に会う時には変わり果ててしまっているであろう

ただ、今は我慢である 

治癒の可能性もある 信じたい

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