がん闘病記 40歳3児の父の記録

縦郭腫瘍 なかでも極めてまれな悪性の胚細胞腫瘍を発症 これからのためにとにかく記録を残そうと思った

抗がん剤投与 1日目

昨日の夜から、点滴が繋がっていたが、わりとよく眠れた

入院中、頻繁に夜起きることはあまりないように思う

点滴の主な目的は、「腫瘍崩壊症候群」の予防だ

腫瘍細胞の大量の崩壊によって、腫瘍の核酸、リン、たんぱく、カリウムが大量に放出されることによって腎不全や不整脈、多臓器不全をきたすことが知られている

自分の腫瘍はこの現象を懸念するほど大きな腫瘍ではなさそうであるが、念のためということであろう

 

朝、引き続いて準備のための水分や吐き気止め、ステロイドなどが投与される 

ちょうどその頃、子供を実家に預け裕美がお見舞いに来てくれた

子供を預けなければいけないので面会はどうしても短時間になるがやはり顔を見るとちょっとホッとする

着替えや、必要な日用品を届けてくれた

 

気がかりがひとつあった 

もともと、腫瘍マーカーの一つであるLDHが少しだけ高値であったが、程度があまり大きくなかったのでこれはあまり気にしていなかった

ところがこの1週間で値がかなり上昇していた 

AFPも並行した動きをとっているとすればこちらもかなり上昇していることが予想される

半減期が重要で、治療直前のAFPも測定していたほうが良いように思われるが、異常高値を示している可能性を考えると見たくないような気持ちもある

 

悩むところであるが、こういう消極性のために、もっと早期に発見できていた可能性を消してしまったことにつながったように感じる

このままでは同じような過ちを繰り返し、また治療が後手に回る危険性をはらんでいる

明日、主治医へ依頼してみることにした

 

午後13時ごろからようやく最初の抗がん剤投与が開始となった エトポシドである

投与中これといって副作用は感じなかった

遅れて末梢神経障害が出現することがあり、これを緩和させる方法として、投与中に手足を冷却するといいらしい

これを目的としたアイスパックを入れるグローブを貸してもらい装着した

 

想像以上に冷たい 5分と我慢できない

 

かじかむくらい冷えないと意味がなさそうであったが、我慢できないため入れたり出したりをくりかえしていた

すると30分ほどで氷が解け始め、徐々にあまり冷たくなくなってしまった

どうもちょうどいい感じにならない

仕方がないので普通のアイスノンをかり、その上に手を置いてできるだけ冷やすように心がけた

あまり効果的ではなかったかもしれないが明日以降またいろいろ試してみたいと思う

 

つづいて、ブレオマイシン、シスプラチンと薬剤がはいっていく

制吐剤の性能もよくなったためか、吐き気はほとんど感じなかった

3日目過ぎたころから食欲の低下がでてくるらしい

 

抗がん剤が終わった後、補液が2本入り、本日の治療は無事終了した

 

なんにしても、初めて腫瘍に対して攻撃することができたという満足感を感じることができ、昨日までより格段に充実した気分になった

一度始めてしまえばあとはスケジュール通りで、やむを得ない理由がない限り治療することになる

 

治したい 治りたい

 

自分の人生は、裕美との結婚を含めいろいろないい出会いに恵まれ、子供も3人も授かりそれなりに満足している

 

あまり贅沢をする余裕はなかったが、それでも楽しかった

 

働き盛り、老後の楽しみなど、これかの人生を経験できないことは、もったいなく残念ではあるが、たとえ治療の結果が悪くても間違いなく幸せだったと言い切る自信がある

 

しかし、子供が心配である

 

小さいうちに親を亡くすことを想像した場合、みおりとしずくはまだ小さいのであまり覚えていない可能性が高く、もともとの性格と合わせてあまり影響なさそうである

そこはそれほど心配していない

 

そよかはさすがに応えると思う 

 

ショックから立ち直るのにかなりの年月を要する気がする ひょっとすると大人になっても引きずっているのではないかとすら感じる

 

そうなったときは、どうか想像してほしい

 

娘が悲しみにくれ、立ち直れずに引きずっているなど、親にとって何よりも不幸なことだ

父は、娘たちが元気で前向きに生きていることが何よりも幸せでなのである

 

父が目の前にいなくても、父が喜ぶような大人を目指して成長してほしい

 

やはり悪い結果を想像すると悲しくなってくる

子供たちの成長を一緒に見守れるような未来が迎えられるよう祈るばかりである

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