がん闘病記 40歳3児の父の記録

縦郭腫瘍 なかでも極めてまれな悪性の胚細胞腫瘍を発症 これからのためにとにかく記録を残そうと思った

術後4日目

手術後4日が経過

 

とにかく痛く苦しかった

苦しみは今も続いているが大分ましにはなってきてようやく日記も再開できた

 

手術当日、付き添いの妻と母がまさかの遅刻 10分程度担当医を待たせてしまった

おかげで手術ではなく、家族の到着にドキドキすることになり気分は少し紛れたように思う

 

徳田先生が手術室で迎えてくれた

部屋は以前足の手術を受けた時と同じ7号 泌尿器科の手術でもよく使う部屋だ

硬膜外カテーテルは入れないという打ち合わせだったので末梢ルートを確保してすぐ挿管の準備となる

手術前の記憶はここで途切れあとは何もわからない

 

手術終わったよ

と言われ挿管チューブを抜いてもらったのが次の記憶だ 一瞬の出来事のように感じた

 

実際の手術時間は4時間弱 そこそこかかったようだが血管との癒着もなく問題なくとれたとのこと

まずは完全切除といってよさそうで安心した

 

ところが、、、

 

傷 というより上腹部~胸部全体が締め付けられるようなキツさがあり痛苦しい 

なんと表現していいのかわからないがとにかく痛くて苦しいのだ

 

手術室をでてエレベーターを待つ間だけ家族と面談が許される ほんの数十秒

先生からの説明は無事にとれた ということであった

 

部屋に戻ってから次の日までそれはもうきつくて地獄の苦しみだったといってよい

早く時間が過ぎてほしいと思いながら時間を確認するもなかなか進まない

酷いときには10分おき程度に確認してしまうようなこともあった

 

ソセゴンを注射してもらうと少しの間痛みがやわらぎ、眠ることができるがそれも束の間 1時間もしないうちに痛みで目覚め効果はまるっきり切れてしまっている

 

苦痛の大きな要因の一つにドレーンがあったように思う

かなり太いドレーンが2本入っていて強い圧迫感があり呼吸苦を増強させる

 

翌日には抜けると期待して朝を待っていた

 

2外科の朝はかなり早く7時になるかならないかくらいで何人かの医師がかわるがわる回診に来てくれた

ドレーンのことを尋ねるとレントゲンを見てから との返答であった

 

すぐ抜けることを少し期待していたのでちょっと残念であったがその日のうちには取れそうだった

 

午後、レントゲンに問題がなかったので正中の最も太いドレーンが抜けた

直後はあまりわからなかったが苦痛がかなり軽減された

 

その翌日には胸腔のドレーンも抜け、完全に管から解放された

 

大分楽になった

痛みは相変わらず強かったがじっとしていればなんとかなる っといった程度で何とかやれそうな感じが出てきた

 

日にちがたつにつれ徐々に歩ける距離も伸びていった

 

はじめはほんの数メートル歩いただけで息切れが激しかったが、今日はなんとか売店まで歩いていくことができるようになった

 

とりあえず経過は問題ないとのことで、術後8日目での退院予定となった

 

しばらくはリハビリが必要になりそうだが、とにかく手術がおわってホッとした

 

あとは病理結果だ

ここまではいい目が出てくれている

最後の仕上げに「残存腫瘍なし」の結果を期待したい

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